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●設立の趣旨
●2010年度設置クラス       ●受講料          ●教室マップ
●レッスン時間        ●通訳・伴奏         ●曲目        
●練習室           ●開講式
●室内楽クラス     ●現地募集の室内楽レッスン   ●合唱クラス  
●一般公開レッスン        ●聴講
 

 ●受講生向け宿泊案内


●ホテルでのロビーコンサート     ●スチューデントコンサート(30日)   

 


  


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当アカデミーは、日本はもとより、各国の優れた演奏家から、直接指導を受けることが出来ます。草津温泉の高原で、共に滞在する間に、演奏家の人柄にふれる機会も多くあります。単に演奏技術を習得するだけではなく、音楽をとりまく多くのことを学ぶことを目指しています。
専門的な音楽家、音楽学校の学生、あるいは音楽愛好家を対象としています。


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第1回 藤森 亮一さん(チェロ)

第2回 白井 篤さん(ヴァイオリン)

第3回 百武 由紀さん(ヴィオラ)

第4回 茂木 大輔さん(オーボエ) 

第5回 児嶋 一江さん(ピアノ)

第6回 瀬川 玄さん(ピアノ)

第7回 天羽 明惠さん(声楽) 

第8回 加納 律子さん(オーボエ)  

第9回 河村 幹子さん(ファゴット) 

第10回 日下 紗矢子さん(ヴァイオリン) 

第11回 庄司 紗矢香さん(ヴァイオリン) 

第12回 藤井 隆史さん(ピアノ)        

第13回 伊藤文乃さん(ヴァイオリン) 

第14回 小森 輝彦さん(バリトン)  

第15回 大西 梓さん(ヴァイオリン)  

第16回 富樫 幸恵さん(ピアノ)     ←只今、準備中。





現在、さまざまな方に、インタビューをお願いしています。お楽しみに。


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藤森亮一さん、バイオグラフィーはこちらをご参照ください。
第2回(81年)ジョルジュアン先生、第3回ノータス先生、第6回フルニエ先生のクラスを受講。
また田中千香士合奏団のメンバーとして、度々ご参加いただきました。

Q1:受講のきっかけは?
堀川高校の同級生、フルートの吉岡アカリ(現在、東フィル首席)さんが、金昌国先生に師事していて、受講することになった。彼に誘われて一緒に参加。

Q2:当時の思い出を語ってください

・第2回の印象が強烈。ジョルジュアン先生は、熱心で、丁寧に教えてくださった。室内楽も沢山やった。ゼッキ先生の指揮でフェスティヴァル・オーケストラの演奏会に出演。モーツァルトの交響曲1番、協奏交響曲、「ジュピター」を演奏。このとき、音楽の素晴らしさに感動のあまり、弾きながら涙が出てきた。


・音楽以外では、もりやペンション。第2回は、満中屋に宿泊。第3回は、もりや。夜な夜な、先生や演奏家や学生などが集まって、毎晩打ち上げ。突然、「チェロ、弾いて!」とにわかアンサンブルもしばしば。「レッスンの曲よりも上手い!」なんてからかわれることもあった。


・フルニエ先生。TシャツGパンでレッスンを受けることは許さない、「紳士」。フランス系の先生では普通だと思う。楽譜に全部書き込みをしてくださり、今でも取ってある。その指示通りに弾くと、「フルニエ風」に弾ける。


・ノータス先生。草津で受講した二週間の間、常に、できないところを指摘され続けた。厳しく、細かく、要求するレベルをいつも高く持っていく先生。受講から8年後、ノータス先生のところへ1年間留学。このときも、草津のときと変わらず、厳しいレッスンが続いたが、最後にやっと「できるようになったね」と、言われた。



Q3:受講前・後の変化は?
高校にはチェロが一人。当時の東京音楽大学は、今ほど盛り上がっていなかった。だから、草津で、レベルの高い人に出会ったショックもあるし、また、色々な人と室内楽で組んだり、オケに出たり、すごく沢山弾いて、嬉しくてたまらなかった。
(レッスン・室内楽・オケって、まるで今のお仕事みたいですね)
全く知らない人とも、一緒に弾けることは、もう無いと思う。今は、初めての人でも、「○○先生のお弟子さん」など情報があらかじめ入ってくるし。草津にいると周りの人が皆、吸収する意欲にあふれていたことが、刺激になったと思う。

最後に、インタビュアーの感想。
これまで、「どうにかして草津には行きたいけど、オケと重なるからなぁ」と、何度も言ってくださいました。ずっと、音楽祭の事務局員に気を使って言ってくださるのかな?と思っていましたが、ホントに本音なんだなぁと思いました。藤森さんにとって、草津は、演奏家になる直前の思い出がぎっしり詰まっている場所であることが良くわかりました。まだまだ先ですが、オケを引退して、草津にどっぷり二週間来ていただけるときまで、音楽祭が続かないと(多分、第45回?)いけません。頑張ります。



続き▽

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白井 篤さんの、バイオグラフィーはこちらをご参照ください。
第17回(96年)ガブリロフ先生のクラスを受講。また第28回には、オーケストラのメンバーとして、また室内楽にご出演いただきました。

Atushi Shirai, Violin

Q1:受講のきっかけは?
桐朋学園大学に入ってから、講習会に参加しようと思った。当時の主な音楽祭には全部参加してみた。他の学校の人に知り合うこと、外国人の学生や先生方と出会うことが、面白かった。

Q2:当時の思い出を語ってください
ガブリロフ先生は、弾いてくださるお手本が素晴らしい。先生は、ものすごく頭が良くて、生徒の問題点を指摘し、「何を、どうすればいいのか」のアドバイスが的確。ツボを突く。感覚的な言葉が少ない。頭を使って弾くことの、勉強でした。アシスタントの森美加さんがピアノで伴奏しながら、ぱっぱと通訳したのも記憶に残っている。
当時、小学生だった滝千春さんが受講していた。まだ、体が小さかったけど、凄く上手くて、学生コンサートの出演にも出演した。一緒に遊んだ記憶がある。
毎日の演奏会にも記憶に残っている。歌のリサイタルは聴かなかったかな?(プログラムをめくりながら、)いや、ヘフリガー先生は聞いた。テーマ(第17回は、「ワーグナーとブラームス」)に沿って、さまざまなプログラムが組まれ、曲と曲の関連性が感じられた。普通の演奏会と違い、一つの演奏会に、さまざまな楽器の一流奏者が少しずつ登場するのも贅沢なこと。
ペンションでは、韓国からの留学生も一緒だった。この音楽祭のいいところは、ペンションで他の楽器の人とも知り合えること。


Q3:昨夏(08年)、休暇中にわざわざお越しくださいましたね? 何故?
一昨年、出演のために音楽祭に参加した際、久しぶりにガブリロフ先生のクラスを聞いた。先生のお手本は、以前と変わらず素晴らしい。また、今の受講生が勉強する姿を見て、自分が学生だった頃の音楽に対する姿勢・感覚を思い出した。今は「仕事」だけど、学生時代は「勉強」するもの。聴講していると、まるで自分が受講しているような気分で、先生の的確な指摘が良くわかる。
僕は、大学生で受講したが、もっと早く受講すれば刺激になって良かったと思う部分と、あれで良かったと思う部分とある。高校時代はのんびりしていたから、あのまま受講していたら萎縮したかもしれない。基礎的な技術だけではなく、「音楽」の話ができるようになってから行かないと、せっかくの先生に開放弦だけ習っても仕方ない。


最後に、インタビュアーの感想。
昨夏、お客様として、オーケストラの旅行の仕事の合間をぬって、草津に来てくださった白井さん。一体、何故、そこまでして草津に?と、疑問に思っていました。今回のインタビューで、その謎が解明されました。プロになっても、音楽を学ぶ姿勢を忘れずにいる白井さん。また聴講に来てください。ルーバン山田の溜まり場にもご案内します。



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百武 由紀さんの、バイオグラフィーはこちらをご参照ください。
第15回(94年)コロー先生のクラスを受講。また、第14回以来、度々、オーケストラや室内楽にご出演いただいています。

Q1:受講のきっかけは?
第14回に出演した際、コロー先生と共演して、この方に影響を受けたいと思った。当時は、東京交響楽団の首席で、弟子と一緒に受講することは、ものすごく恥ずかしいことだった。でも、1-2時間のレッスンではなく、じっくり受講して、影響を受けたいと思った。

Q2:先生のレッスンについて語ってください
首席として、既に自分のスタイルが確立していたが、コロー先生のレッスンを通して、自己流でやって来たボーイングの「弱点」を克服できた。音の芯を捕まえる重要性を、痛いほど思い知った。用になった。微妙な差異だが、先生が弾いている姿を見てわかったことも多い。先生がトリオを弾いているレコードをじっくり聞き、ボーイングやフィンガリングを想像していた。受講曲には室内楽曲も交え、ボーイング・フィンガリングも確認した。自分がこうかな?と思っていたことに、裏づけが取れて、確信が持てた。

受講のために曲を準備して、先生に見ていただき、それが自分のリサイタルのレパートリーとなった。先生に出会わなければ、フランスものはあまり取り上げなかったと思う。

先生は、教えることに一生懸命すぎるくらい一生懸命。一日の半分を教えることに費やす。ご自身が出演する日も、マスタークラスを休むことは無く、少し早めに切り上げる程度。受講生それぞれのレベルに合わせて教えてくださる。しかし、終始一貫、無駄の無いボーイング、意味のあるボーイングを求められ、発音は一粒たりとも不明瞭であってはならず、そして全ての曲に命を与えるよう要求される。自分が次の世代に伝えなければいけないことを、伝えてくださる。先生のこの態度は、今の自分の仕事にも生き方にも、強い影響を及ぼした。教えることの重要性を教えてくれた。師弟関係は、人と人との信頼関係。情熱を注げば、学生は先生を信じて勉強し、迷いなく伸びていく。先生として、自分が教えたことが伝わっている実感が味わえる。これまでにも多くの弟子に草津の受講を勧め、皆、成長していった。東京フィルハーモニー交響楽団フォアシュピーラーの中村洋乃理、オーケストラアンサンブル金沢の小宮山由里、九州交響楽団の猿渡友美恵など私の弟子をはじめ、多くのヴィオラ奏者たちのその後に影響を及ぼした事は、枚挙に暇がない。

Q3:今年の夏、ご出演予定のヒューリンガー先生について、教えてください。
例えるならば、コロー先生は「動」、ヒューリンガー先生は「静」。ヒューリンガー先生は、禅についても豊富な知識があり、ご自宅も落ち着いたしつらえ。弟子が何人か、既にお世話になっている。リラックスして自信を持って弾けるようになるなど、皆、成長した。この夏、私自身、凄く楽しみにしている。


最後に、インタビュアーの感想。
コロー先生について語らせたら、この方の右にでる人はいません。てっきり、フランス語がご堪能だと思っていました。事前にバイオグラフィーを読み、「はて?いつ、フランスに留学?」と、思っていました。「実は、フランス語は話せないの。パントマイムと、お互い片言の英語だけ。音楽ではフランス語で喋れるのに、言語のフランス語は鮫嶋明子さん(コロー先生クラスの伴奏ピアニスト)がいらっしゃらないと全くダメなの」と、告白してくださいました。コロー先生とは、音楽で会話できるそうです。素敵ですね。


続き▽

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児嶋一江さん、バイオグラフィーはこちらをご参照ください。
第8回(87年)クラウス・シルデ先生のクラスを受講。
第9回以降、アシスタント・ピアニストとして、さまざまなクラスで、伴奏・通訳を務めていただいています。また第28回(2007年)8月22日の演奏会では、L.v.ベートーヴェン「三重奏曲 ト長調 WoO.37」 のピアニストとして、急遽ご出演いただき、素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。

Q1:受講のきっかけは?
国立ミュンヘン音楽大学留学中、シルデ先生についた。その関係で、最初は、先生のアシスタントとして、仕事の依頼が来た。しかし、この音楽祭に参加経験も無く、また、文字通り朝から晩までずっと細かく熱心なシルデ先生のアシスタント役を務める自信も無かったので、仕事はお断りした。受講生として参加すれば、久しぶりに2週間、集中的に先生のレッスンを受けられると思い、受講した。

Q2:受講してみたら、いかがでしたか?
留学から帰ってきて数年経ち、少し「タガ」が緩みかかっていたのを、先生に締めていただいた感じ。また、留学時代は、先生から教えていただくこと全てが新しく、必死で吸収したが、草津で受講したときは、「なるほど、そう考えれば、わかりやすくなるのか」と、整理ができた。
シルデ先生のクラス以外では、沢山、室内楽をやった。先生が演奏会で弾く曲の楽譜をコピーさせてもらい、他の楽器の人たちと組んで、色々な曲を演奏した。インゴ・ジンホッファー先生(Vl)、ヘンケル先生(Vc)には、受講生として見ていただき、その後、室内楽で共演するようになった。

Q3:これまでに沢山のクラスで伴奏・通訳を務めていらっしゃいますが、印象的なクラスは?
はじめて伴奏した第9回のトゥーネマン先生(ファゴット)のクラス。実は、このクラスの伴奏はラクだろうと思っていたが、草津でどんどん曲目が増えて30曲ほどになった。沢山の受講生で活気があり、皆、やる気にあふれたクラスで、今では多くの人がプロとして活躍している。今でも、彼らとは親交がある。講習会であっても、基本的には伴奏をしているという意識はあまりなく、共演者として私もエンジョイしている。

Q4:第28回8月22日の演奏会には、出演のお願いが本番の三日前でした。本当に、大変な思いをして、助けてくださいました。ありがとうございます。そんなことが、何故、できるのでしょうか?
全く無理なものを別として、基本、仕事は断らない。3日で仕上げろといわれたら、その中で使える時間を計算する。ベートーヴェンの三重奏曲は難曲で、以前、弾いた経験があったから、演奏技巧の難しさもわかっていた。最初に受け取った楽譜がコピーの切り貼りで、使い物にならなかったのは計算外だったが。翌日、東京から楽譜を取り寄せ、夕方から練習し、リハーサル、本番と、限られた時間の中であったが、素晴らしい共演者との室内楽は、大変有意義な音楽的時間だった。


最後に、インタビュアーの感想。
児嶋さんは、マスタークラスのアシスタントとして、伴奏・通訳だけでなく、受講生に対する細やかな配慮が行き届いた方です。児嶋さんの側には、いつも人が集まってきて、笑顔が絶えません。受講生だった第8回は、私が初めて学生スタッフとして参加した年でもあるのですが、二人でゆっくり話したのは、今回が初めてでした。



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瀬川 玄さん、バイオグラフィーはこちらをご参照ください。
第17回(96年)ブルーノ・カニーノ先生、第22回(01年)フェレンツ・ラドシュ先生のクラスを受講。第28回(07年)には、エリック・ハイドシェック先生のマスタークラスで、アシスタントとして通訳を務めていただきました。

Q1:受講のきっかけは?
そもそも草津との出会いは、第15回(94年)に父(ヤマハ調律師)の仕事について行ったところから始まりました。その時私は高校一年生、綿貫ペンションに泊まり、同宿のアシスタントピアニストの方に可愛がってもらったり、午前中の先生方のレッスンを聴講したり、父のホールでの仕事を見たり、時には、ヴァイオリンのヒンク先生のテニスのお相手をしたこともありました。第16回も同様にのんびりとすごし、いよいよ第17回でピアノの受講生としてアカデミーに参加しました。

Q2:受講してみたら、いかがでしたか?
ブルーノ・カニーノ先生は、ピアニスト・音楽家としての「プロフェッショナル」という言葉がぴったりだと思います。音楽的レベルの高い厳しさを笑顔の裏に秘めていらっしゃったように、今でも思い出されます。
同年、エディット・ピヒト・アクセンフェルト先生が音楽祭の演奏会で弾かれたブラームスの《ピアノ曲集 op.117 三つのインテルメッツオ》をピヒト先生のクラスで取り上げるにあたって、クラスの受講生の曲目リストには入っていなかったところ、たまたま私の受講曲のひとつがその曲であったため、最終日にはピヒト・クラスに参加させていただくことができました。ピヒト先生からは、まるで大自然と一体化していらっしゃるかのような境地が感じられ、肩から指へ、川の流れのように無理なく力が流れるよう指導されるその様は、今思えば、ピヒト先生はまるで美しい「仙女様」でいらしたかのように、記憶からよみがえって参ります。
ラドシュ先生は、「I don’t understand」が口ぐせの、笑顔は絶えずとも、とても厳しい先生です。「I don’t understand」は、その人の演奏を聴きながら、音楽的解釈、あるいは歴史的背景といった何がしかの音楽的内容が伝わってこない時、まずこの言葉で一刀両断されます。ハンガリー人的気質の「皮肉」でもあったのかもしれません。弾いている途中で「I don’t understand」が始まると、何度も同じところを繰り返すことになります。先生は、大変根気強く、何度も弾いて、歌って、曲の流れを教えてくださるのですが、先生の意にその場で適うことは非常に難しく、受講生が凹んでしまうことも少なからずありました。今思い返せば、ラドシュ先生の指摘されることは、どれも「音楽そのもの」に対する無理解・無感覚といったことを許さない、高い音楽的境地からの指示の数々であったように思われます。

Q3:第18回から第21回までの4年間は、スタッフとして参加でした。どんな思い出が?
草津では、さまざまな芸術家・演奏家の方々と共に過ごすことができました。声楽のエルンスト・ヘフリガー先生、フルートのオーレル・ニコレ先生など、ホールとホテルの間を車で送迎するわずかな時間にも、偉大な音楽家たるオーラが感じられ、それを間近の助手席にご一緒できたことは非常に貴重な経験でした。
受講生として参加していると、先生方から音楽について、直接様々なことを実地で学ぶことができます。対して、スタッフとして参加していると、先生方のオフタイムから、その人となりを色々と身近に体験することができ、これもまた非常に有意義な経験でした。
ある年には、草津アカデミー名物、ステージマネージャーの故伊堂寺猛男さん(通称、おとうちゃん)の元、ステマネ・アシスタントを勤めさせていただいた回もあり、おとうちゃんの淡々と仕事をこなす余裕の姿は、小柄な体格ながらも、年季の入った大ベテランの職人を思わせるインパクトの強い風貌であったと思い出されます。他にも、アシスタント・ピアニストの岡田知子さんをはじめ、数え切れない多くの演奏家や関係者の方々と知り合うことができました。草津での経験を抜きに、今の私は無いと断言できるでしょう。そしてまた、日本における名湯のひとつ草津の地において、ひと夏のある時間を、世界を代表するクラシック音楽界の先生方を囲んで過ごすことは、そこに参加した一人一人にとってのかけがえのない生涯の財産となるような気がします。


最後に、インタビュアーの感想。
学生時代から顔見知りの「玄ちゃん」。今では、立派に満員のお客様で大きなリサイタルを開くようになりました。私は、つい、お姉さんぶってしまうのですが、彼のブログ「ひたすら音楽」http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/ を読むと、音楽は勿論、歴史や哲学に至るまで、人間の普遍的な感性を揺さぶる演奏を求めて、日々研究し続ける彼の姿勢には圧倒されています。今後も、更に、ひたすら音楽を求めて、活躍してくれることを期待しています。



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茂木大輔さん、バイオグラフィーはこちらをご参照ください。
第2回(81年)ギュンター・パッシン先生のクラスを受講。
また第21回(2000年)8月28日には、「バッハの4つの協奏曲、ガブリロフ、茂木大輔、ヒンク、シュルツ」の演奏会に、ソリストとしてご出演いただきました。

Q1:受講のきっかけは?
81年3月に大学を卒業。正直言って、最初は、講習会を受けることに、あまり興味はなかった。在学中から、新星日本交響楽団の団員だったため、休暇は取りにくかった。しかし、尊敬する宮本文昭さんがパッシンの影響を受けたと知り、8月19日のオーボエリサイタルを聴きに草津へ行った。
演奏会は、衝撃だった。音が美しいし、カッコイイ。舞台さばきもカッコイイ。(注:当時は、コンサートホール建設前で、天狗山レストハウスでの演奏会) この演奏会は、今まで聞いた多くの演奏会のうちベスト3に入る。
どうにかして、レッスンを受けたいと思った。運良く、パッシン・クラスの受講生が一人減ってしまった日で、その人の代わりに8月20日の一日だけ特別に参加させてもらうことになった。
NHKドイツ語講座を聞いていたので、多少、先生の言葉が理解できた。レッスン後、先生を囲んで昼食をとるときも、通訳めいたことなどをして、楽しくすごした。午後、草津を離れる時間になったら、台風が来て、下山できなくなった。仕方なく、オーケストラの仕事を一つキャンセルすることになった。偶然、その次の仕事は、降り番だったので、そのまま草津に滞在することができた。結局、一週間受講した。

Q2:受講後は?
この年、パッシン先生は、ミュンヘンで教えることが決まったばかりで、この新設クラスへ留学するよう薦められた。草津から東京へ帰った日から、約2ヵ月後の10月28日に、ドイツへ旅立ち、留学生活が始まった。
留学経験のある先輩のアドバイスに従い、「お金がないから、ムッケ(アルバイト)を下さい」と先生にお願いした。町の教会で、ミサや小さな演奏会で吹いてお小遣いを稼ぐことを期待していた。が、パッシン先生から紹介された仕事は、全部プログラムに名前が載るようなソリストとしての仕事ばかり。丁度、85年のバッハ生誕300年祭に向けて、バッハアカデミーがもっとも活発だった時代。オーディションを経て、様々なツアーに参加した。ドイツ全土だけでなく、東欧や、日本まで回った。またディースカウやオジェー、ハマリやトゥーネマン、宮本さんなど、物凄い演奏家とレコーディングを毎週のようにやっていた。おかげで、バッハの音は体に染みこむほど演奏した。

Q3:パッシン先生は、どんな方ですか?
パッシン先生は、人間的に素晴らしい方。感情が豊かで、笑ったり、喜んだり、ちょっと大げさなところもある。一方、大変な努力家であり、プロの職人。先生と一緒に演奏旅行に出かけると、いつも隣の部屋だった。朝8時になると、一時間、スケールをさらう音が聞こえてくる。同じように、自分でも、毎日一時間スケールをさらうことは欠かさない。先生からは、すべての音楽表現に通ずる、もっとも重要な基礎を繰り返し教えられ、それは確実に自分の骨格になっている。人間的にも大きな影響を受けた。
留学してから先生に、「あの時、どうして僕だったんですか?」と聞いたら、「目。とにかく、何でも吸収しようという、目をしていたから」と言われた。当時は、ドイツ語が多少理解できたとは言っても、まだまだカタコト。それでも、どうにか学び取ろうという気持ちが通じたと思う。


最後に、インタビュアーの感想。
NHK交響楽団の首席であり、96年以降、指揮者としての活動も活発で、さらに、「拍手のルール」(中央公論新社)「音大進学・就職塾」(音楽の友社)など沢山の本を書いている超多忙な方です。わざわざお忙しい時間を割いてくださったのは、現在の活動の原点として草津があることを、改めて確認しました。 (この顛末は、「オーケストラは素敵だ オーボエ吹きの修行帖」(中公文庫)にも、書かれています) 「超多忙でも活動を縮小しないパワーの源泉は何ですか?」との問いに「音楽が好きだから。それだけ」とストレートに答えてくださいました。春からは、東京音楽大学で指揮科の聴講生になるそうです。学び続ける姿勢に、脱帽です。



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天羽明惠さん、バイオグラフィーはこちらをご参照ください。
第13回(92年)から、第22回(01年)まで、エルンスト・ヘフリガー先生のクラスを何度も受講なさいました。また第22回(01年)以降、演奏会にたびたびご出演いただいています。今年もご出演です。

Q1:受講のきっかけは?
文化庁オペラ研修所で、太田直樹さんと知り合い、彼に勧められた。

Q2:受講の思い出を教えてください。

* バッハがレパートリーに加わったのは、草津のおかげ。バッハは、音楽の根っこだから、避けては通れない。ドイツ語の語彙も覚えた。草津で受講するまでは、オペラ中心で、歌曲はあまり勉強していなかった。受講をきっかけに、「歌曲は短いオペラ」と捉えるようになった。バッハはもっと歌いたい。オペラの仕事が多いが、宗教曲なども含めて、やりたいことは沢山ある。


* あるとき、ヘフリガー先生とオーレル・ニコレ先生(フルート)を、ホテルまで車でお送りした。丁度、「マタイ受難曲」を勉強していた。ヘフリガー先生が、ニコレ先生に、フルートで演奏するようお願いしてくださった。実は、そのとき持っていたスコアは太田桃子さん(直樹さんの奥様)からの借り物。彼女のスコアには、ニコレ先生の「ブラボー明惠」とサインが残っている。


* 他の楽器のクラスをのぞきに行けることは勉強になる。管楽器の息遣いや、弦楽器の奏法からも、学べることはある。草津では、素晴らしい演奏家と間近に過ごせるので、参考になることが多い。


* 草津は、滞在していて楽しい場所。自然に恵まれ、温泉がたっぷり。更に、中華料理「龍園」、洋食「どんぐり」、焼き鳥「静」、ソースカツ丼があるお蕎麦屋さん「柏香亭」など、お気に入りのお店が沢山ある。

Q3:ヘフリガー先生から学んだことは?

* 先生は、レッスンの間に、受講生の持っている、どこか良いところを伸ばす方針。いい声があって、そこにフレーズなど音楽の作り方がある。生徒の成長を辛抱強く見守ってくださる素晴らしい先生だった。


* 先生から、「音楽と共に生きる」ことを学んだ。2007年2月、亡くなる1ヵ月前に、ウィーンでレッスンを受けたとき、先生は体が不自由になってはいたが、音楽と共に生きていらした。


* ヘフリガー先生は、オペラだけでなく、リートのレパートリーも広く、たくさんの曲をよく知っていた。ヤナーチェクの作品には、「この初演は、僕」と言われた曲もあった。先生の知らない曲を持っていきたくて、ウルマンなど、あまり取り上げられない作曲家の曲も取り上げるようにした。CDやレコードを聴いて勉強するのではなく、楽譜を勉強することが好き。楽譜は、平面・2次元の世界だけど、これを立体的にして、更に時間の流れがあり、3次元4次元の世界を構築することは、すごく楽しい。リートを教えていただいたことで、新たな音楽の楽しみを知った。





最後に、インタビュアーの感想。
お話を伺う前から、天羽さんの草津好きは、強く感じていました。昨年は、出演しないのに、わざわざお越しくださいました。そして、「さー、龍園行こう!」。お店の方にも、名前を覚えられているそうです。マスタークラスで学んだことが、天羽さんの音楽活動に強く影響したことに加え、他のクラスに聴講に行くなど音楽祭を隅々まで活用し、更に、草津温泉の街中も満喫していることがよくわかりました。



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